生存することには痛みが伴う。「自分の」
痛みではない。自分が生存するために他の
生物に痛みを与える。その痛みを痛いと
自分が感じるのである。
他の動植物を食べてまで自分が生きること。では、「何のために」生きているのか。そんな残虐なことをしてまで、生きる理由が自分にはあるのか。生きるほどの自分であるのか。
私は、生きるほどの自分であろうとしている。
池田晶子「考える日々 全編」毎日新聞出版
わたしたちは、何で生きるのだろう。何でこの世に生まれてきたのだろう。わたしたちの生きる意味は何だろう。こうあるべきだとか、こうでなければならないということを生きる指針とすると、そのことによってかえって不自由になってしまう。自分はいろいろな思い込みよって生きているけれど、自分の思い込みから自分を解放する。宗教や信仰もそうだ。少し、立ち止まって考えてみませんか。