司教
司教年頭書簡
富雄教会 藤田 尚 60代 男性
読んだ箇所 全文
教会での分かち合いについて、改めて自問自答してみました。
「Q;何なのか→A;互いの体験を伝え合い、苦楽を共感すること」、
「Q;なぜ大切か→A;神が分かち合いを望まれ、私たちはその御心が
実現するように働きたいから」。
私たちが分かち合いに抵抗を感じたとしても、例えば「どうして分かち合いをするの?」、「人前で話すことが苦手」など、ありのままの 思いを教会の兄弟姉妹に打ち明けることで、分かち合いの一歩を踏み出せるように思います。 大切なことは、私たちがいつもイエスを信頼し、困難を耐え忍ぶこと、そして聖霊が語られる言葉にいつも耳を傾けることではないでしょうか。
河原町教会 小杉章子
私たちは時代の子であることを免れ得ず、問いや課題を見るや「正解」と して 評価されるものをできるだけ短時間でひねり出そうとしてしまいます。
教会のことでもつい。
召された人は、去ってからわかる置き土産を残すようです。
透磨師の、『祈る』 は『神さまの意に乗る』である ― 教会の諸課題を前に、 祈ることは遠回りでもただの形でもなく、むしろすべて祈りに依ることを、
教会全体で再認識が必要かもしれません。聖堂があるなら、聖櫃の中で待って いるキリストと相談するなどの聖体訪問を省略しない、とか。
教会で評価されること、神さまにほめられること、ではなく、神さまは私たち と、どうしたいと思ってられるのかなと「意乗る」こと、再び。
大和高田教会 アルベルト 60代 男性
読んだ箇所 全文
子供の頃に母親と一緒に洗礼を受け何となくミサに与っていた私は、ミサは義務で教会は義務を果たす為に人達が集う場所と捉えていました。その為、徐々に教会から遠ざかって行きました。 定年を迎え人生を見つめ直しているタイミングでシノドスと言う言葉を知り、ミサに与る事は義務と言うより喜びだと感じる様になりました。 年頭書簡を読んで、教会から遠ざかっている人や福音を知らない人達に喜びを伝える事はとても重要だと強く思いました。
匿名希望 女性
読んだ箇所 全文
教皇文書、毎日のミサ、聖書と典礼。少なくともこれらの紙質を簡素なもの(再生紙等)に変え、価格を大幅に引き下げることをご検討ください。誰もが容易に入手できるためと、自然環境を守るためとの観点から、そう考えます。貧困、環境破壊が深刻化の一途をたどっている今こそ、早急によろしくお願い申し上げます。
衣笠教会 廣川美智香
読んだ箇所 9.『聖霊による識別』を信じて
衣笠教会は、洛北ブロックの一員として、シノドスへの参加を話し合った時も、「南部地区適正配置」について再考を促された時も、「教会共同体づくり」の視点から考えて行こうとしています。その為には、分かち合いや講座、集会が有効と思われますので、9番の主旨を参考に、教会活動を活性化させるヒントを得たいと感じています。
大津教会 松川紘子 30代 女性
読んだ箇所 全文
わたしが気になったのは若い人が教会に来られないことです。導いてくれる人や場所があるのは、みんな求めているはずなのに若い人が教会に少ないのは、お金をとられるんじゃないかという不安があるみたいです。興味はあっても、話しは聞いてくれてもなかなか教会いきたい、とはなりません。わたしの場合は、親や家族と仲が悪く、勉強もできなくて世間に居場所がなくて、居場所がないと話してもみんな同じだと言われたり。でも我慢したりできるのはまだ切羽詰まってないからかもしれないです。いまいろんなものがあって心は窮屈であれば信者が増えてもいいはずです。多分苦しいとか強く思うことに損得勘定をしているのかもしれません。アプリで若い人がいろんな人と関わることが流行しています。若い人も頑張ってる、と大人が認めてあげてほしいです。
富雄教会 藤田 尚
司教様の年頭書簡「私のシノダリティを創る」を喜びのうちに読ませていただきました。
私たち信徒は今まさに、教区研修会等で学んだ教会共同体のあり方について、皆で話し合い実践しているところです。
書簡ではその歩みの方法を「ともに歩む道」として指し示していただき、私には聖霊が語りかけられている真実のように感じられました。
いくつもの光輝く宝石がちりばめられているかのようなこの書簡の内容をこの一年、繰り返し黙想し、神の子としてより豊かに養われ、神との一致を新しい深みの中で生きていけることを思うと、いつくしみ深い神の恵みに幸せと希望で満たされます。
そしてこれらのことを教会共同体の皆で分かち合っていけるように、声なき声にも耳を傾けつつ、愛の奉仕に励んで参りたいと思います。
司教様、神父様、修道者の皆様、そして神に真心で感謝の気持ちをお捧げいたします。
チャートは、私自身が黙想しやすいように、書簡の内容を要約版として、まとめさせていただいたものです。私なりに、私たち信徒にとって大切と思われる書簡の箇所をできる限り網羅的に抽出したつもりです。
要約版の言葉遣いは、私が言葉を補い、また二つの文を一つに整理した箇所がわずかにある程度で、ほとんど(98%程度)が書簡のとおりの言葉遣いのままです。
富雄教会でも神父様方や信徒の皆と話し合って、支障がなければこのような要約版を活用しつつ、書簡の読み合わせなどを検討していければと思っています。